會澤龍一郎という、生き方
存在の証である愛と、生きる源であるありがとうを、笑顔と共に世界中に広めていく。
これは、何度も落ちては立ち上がってきた一人の男の、あ・い・う・え・お。
案を立て、因を積み、運を掴み、円より縁へ、恩を送り、安を渡す。そこからまた、始まりへ還っていく。終わらない円の話です。
その円の真ん中には、いつも揺るがない土台があります。それが、愛。あ・い・う・え・おのすべては、その上に立っています。
あ=愛 /すべての源は、愛。― ブラジルのあの夜。
16歳の夏、僕は地球の裏側にいました。ブラジル。ポルトガル語も話せず、頼れる知り合いもいない土地です。最初はただ、孤独でした。

言葉の通じない毎日を越えて、ある晩のことです。ふと、胸がいっぱいになりました。苦しさに耐えていたわけじゃない。逆です。理由もなく、幸福だったんです。「自分は何故、こんなにも幸福なんだろう」。その理由を、とことん追いかけました。そして辿り着いたのが、この言葉でした。
『全ての人・物・事に、ありがとう』
目に映るすべて。出会ったすべての人。起きたすべての出来事。その一つひとつに、ありがとうと言える。世界と自分が、一本の線で繋がっている——そんな感覚でした。これが、僕のミッションの起点です。
そしてこの土地の言葉が、のちの社名LevCo(Levantar=立ち上がる × Companheiros=家族のような仲間)の根っこになります。すべての源である“愛”は、地球の裏側から始まっていたんです。
愛とは、存在の証です。愛の反対は、憎しみじゃない。“無”です。存在に気づいたその瞬間から、愛は始まる。だから感謝も愛だし、憎しみさえ、愛の一つの形なんです。
すべての源は、愛。守りたい人がいる。叶えたい想いがある。届けたい誰かがいる。――その愛があるからこそ、次の一歩が生まれるんです。
案 /“どうしたいか”を、自分で決める。
愛があるからこそ、湧いてくるものがあります。「自分はどうしたいか」「どうなりたいか」という意志。僕はこれを『案』と呼んでいます。
『案』という字は、計画や思いつき、原案の“案”です。会議で出す“たたき台”の、あの案。最初から正解として配られるものではなく、自分の手で立てる下書きのこと。
人生の“案”も、同じです。どう生きたいかは、誰かがくれるのを待つものじゃない。損得を頭で弾いた答えでもない。愛から湧き上がる、当事者意識のことです。
人からどう見られるか、認められるか。それが気にならない人は、たぶんいません。僕もそうです。でも他人のものさしだけで自分を測り続けるのは、しんどい。どれだけ結果を出しても、心の芯が満たされないんです。
変わったのは、順番を入れ替えた時でした。他者の評価は、ちゃんと受け止める。でも鵜呑みにはしない。まず自分で自分を評価する。「今日の自分は、自分らしくいられたか」。他者の評価がその自己評価に追いついてきた時、初めてその声を信じて、周りに深く感謝する。
自分のものさしで決める。ただし、それに固執はしません。人には人のものさしがある。それを「お借りして」考えられる人が、いちばん伸びていく。自分のものさし自体が、少しずつ大きくなるんです。
プライドって、周りより優れていることじゃないと思っています。誰ひとり同意してくれなくても、自分を信じ抜くこと。それが僕にとってのプライドです。
だから人生の岐路では、まわりが“正解”と呼ぶ道より、心が惹かれるほうを選んできました。目的は、与えられるものじゃない。自分で立てる“案”だから。
あなたが本当に大切にしたいものは、何ですか。だから、どうしたいですか。
“どうしたいか”を自分で決める。そこから、全部が動き出します。
い=因 /転ぶのは失敗じゃない。諦めることが、失敗だ。
案を形にするには、泥臭く動いて『因』を作るしかありません。因という字は、原因の“因”。結果の“もと”になる種のことです。知識・経験・人脈・徳。すぐには芽が出なくても、未来のために種をまき続ける。因とは、そういうフェーズです。
僕の人生は、まさにこの繰り返しでした。転んだ数なら、数えきれません。なかでも最初に大きく転んだのが、20歳のときでした。
幼い頃は、使われていない別荘を借りて、家族五人で暮らすような毎日でした。決して楽ではありません。でも父は、パン屋で身を立てていきました。やがて町でも指折りの人気店になり、立派な家が建ち、僕は留学にも行かせてもらえた。——すべてが、順風満帆に見えていました。
それが、20歳。家業が、倒産しました。お金も、住む家も、思い描いていた将来も。家族もバラバラになり、ずっと追いかけてきた“憧れの父の背中”までも、一度に失いました。指の間から、全部がこぼれ落ちていく。絶望という言葉の意味を、僕はこのとき初めて知りました。
そこからの20代は、ずいぶん遠回りをしました。職を転々として、これといった実績もない。傍から見れば、ただ漂流していただけの数年間です。
でも今振り返ると、あの回り道の一つ一つが、種でした。人との接し方、場数、頭を下げること、いろんな生き方に触れたこと。履歴書には書けない経験が、知らないうちに自分の中に積もっていたんです。
その種が芽を出し始めたのが、25歳。一風堂時代の仲間に誘われて移った広島で始めた、光回線の訪問営業でした。そこから縁あって、社員3名から約100名へ、年商3,000万円規模から5年で10億円規模へと広がる全国展開の立ち上げに、人事部長として関わらせてもらいました。
落ちて、学んで、仲間と立ち上がり、人を育てる。その連続でした。
考えても考えても、結果は変わりません。行動からしか、結果は生まれません。人並みの行動からは、人並みの結果しか出ないんです。
だから、これだけは言い切れます。転ぶことは、失敗じゃない。諦めることが、真の失敗です。
── この『因』の字を覚えておいてください。のちほど、心が宿ります。
う=運 /幸運の女神には、前髪しかない。
自らの手で『因』を積み上げている人にだけ、最高のタイミングで運が巡ってきます。
運という字は、“運ぶ”と書きます。じっと待っていて、天から降ってくるものじゃない。自分の足で運んだ分だけ、めぐってくる。それが、運です。
僕は、運をこんなふうに捉えています。人生には自分では変えられないものがあります。生まれた家、時代、過去。これを僕は『宿命』と呼びます。あの物置同然の別荘で過ごした日々も、僕には選べませんでした。
でもその隣にはもう一つ、まったく別のものがあります。今日、自分が何をするか。これは100%自分で変えられます。僕はこれを『運命』と呼んでいます。宿命を嘆いている時間は、運命を作る時間を奪うだけ。運命は今日の選択と行動の中にしか宿りません。
幸運の女神には、前髪しかありません。通り過ぎてから掴もうとしても、もう遅い。日々己を整えている人だけが、目の前を過ぎる一瞬に、その前髪を掴み取れるんです。
振り返ると、僕の人生の扉はいつも“誰かの一言”で開いてきました。アラサーを意識して「このままじゃダメだ」と思っていた頃、一風堂時代のバイトリーダー仲間が広島へ誘ってくれたんです。その一言に乗って移った広島で、光回線の訪問営業から僕の“営業人生”が始まりました。もしあの頃、下を向いたまま立ち止まっていたら、あの誘いは僕の前を素通りしていたかもしれません。
立ち上がる時、人はなかなか一人では立ち上がれません。誰かに引き上げてもらい、背中を押してもらって、また前に進める。LevCoの前半分『Levantar』は、ポルトガル語で“引き上げる”。僕にとってこれは観念ではなく、実体験なんです。
だから、運は待つものではありません。掴めるように己を整えておくもの。今日の連続が、そのまま人生になります。
明日やろうは、馬鹿野郎です。
え=円より縁 /お金の先に、仲間を選ぶ。
運を掴んだ先に、『円』(お金)が入ってくることがあります。それ自体はありがたいことです。でも僕が本当に選びたいのは、その先にある『縁』(人との出会い)なんです。
手に入れた円に満足して、歩みを止めることもできます。でも一流は円も大切にした上で、その先の縁(家族のような仲間)へ向かう。円は目的ではなく、縁を活かすための燃料にすぎないんです。
縁という字は、糸偏でできています。人と人を結ぶ、目に見えない糸のこと。その糸で結ばれた仲間を、僕はこう呼んでいます。
僕の会社の名前、LevCoの後ろ半分はCompanheiros。ただの“仲間”では言い表せない、家族のような絆で結ばれた仲間という意味です。
僕はよく、仲間を“同じ船に乗った運命共同体”に例えます。食料を分け合い、船内で意見が割れても、目指す港は一緒。ぶつかり合いを経て辿り着く頃には、家族の、いや家族以上の絆が結ばれているんです。
1+1は2じゃなく、3になる。9+1は10じゃなく、100になる。人の為せる、奇跡のチームプレーです。強さは、違いにこそある。類似性にはない。
だから僕はお金も大事にした上で、その先の“仲間”を選びます。円を燃料に、縁を生きる。それが僕の“え”です。
鎧を、脱ぐ。― ここだけの、正直な話。
ここまで読むと、僕がずいぶん強い人間に見えるかもしれません。安心してください。全然、そんなことないです。
本音で話す会で「鎧を着てるね」と言われたことがあります。しかも初めてじゃない。自分を下げて相手を立てすぎる。本音を出すのがちょっと苦手。かれこれ10年もののお付き合いになる、年季の入った鎧です。
おまけに僕は、「ありがとう」の一言が嬉しすぎて、つい対価の話より先に動いてしまう。目の前の人の役に立てるなら、まず差し出したくなるんです。あとで「また、やっちゃった」と笑う。そんなタイプです。
完璧じゃない。だからこそ、人間らしい。英雄なんかじゃなく、僕も、あなたと同じです。
── ここはひと休み。鎧を脱いだ、素の話。
お=恩 /受けた恩は、返して終わりじゃない。送る。
『円』の誘惑を超えて『縁』を貫いた時、支えてくれた仲間や環境への深い感謝が心から湧き上がってきます。これが『恩』です。
我(エゴ)で突き進んできた人間が、己(利他)を知る瞬間。
恩という字は、原因の『因』に『心』と書きます。今、自分がここにいる原因や理由を心に留めて忘れないこと。一人でここまで来られたわけじゃないという自覚。それが、恩の根源です。
── さっき積み上げた、あの『因』に心が宿って、『恩』になる。
そして僕にとって恩は、受けた相手に「返して終わり」じゃない。恩は『送る』ものです。受けた恩を次の誰か、次の世代へと流していく。恩送りだからこそ、この循環は終わらないんです。
だから、うまくいったときは「みんなのお陰様」。うまくいかなかったときは「自分の落度」。
教える側も学ぶ。学ぶ側も教える。一方通行ではなく、共に育つ。僕はこれを、教育ではなく『共育』と呼んでいます。恩送りは共育になって、これからも続いていきます。
安=結 /僕が防波堤になる。その安心の中で、あなたが次の“案”を生む。
円環は、ここで結ばれます。
安という字は、屋根(宀)の下に、人がいる姿からできています。雨風をしのげる場所があるから、人は安心して、また次の一歩を踏み出せる。
僕がなりたいのは、その屋根です。成功を“求める”側から、周りに『安全・安心・安らぎ』を提供する側へ。「俺がいれば大丈夫」という強烈な我を、今度は仲間を守る器として、防波堤として使う。
リーダーが『安』を提供すると、その安心感の中で仲間たちがまた新しい自分の『案』を生み出せます。案(自分の挑戦)が巡り巡って、安(誰かを守る愛)に変わる。
誰かの“安”が、次の誰かの“案”になる。愛の上で始まり、恩を経て、また土台の愛(安)へ還っていく。
僕が本気で作りたいのは、在り方・価値観・営業力・AIといった、生きるために必要な力を共に育てられる場所です。自分らしく生きて、強みを活かして、幸福度の高い『人財の宝庫』にしたいんです。
時代はもう、風の時代に入っています。土の時代の“縦”から、風の時代の“横”へ。みんなのリーダーシップを引き出して、一人ひとりが自分らしく活躍できる環境を用意したい。
関わる人が、成長して、人生が変わる。そういう会社に、僕はしたいんです。
僕と、一度、話しませんか。
あ・い・う・え・お。愛から起こり、恩で結ぶ。円環を一周し終えた今、もう一度この言葉を差し出させてください。今度は僕が語る言葉としてではなく、あなたと一緒に掲げる言葉として。
『存在の証である愛と、生きる源であるありがとうを、笑顔と共に世界中に広めていく』
ここまで読んでくださったあなたと、一度お話ししてみたいんです。あなたが今、何を大切にしていて、どうしたいのか。何に迷って、何を諦めきれずにいるのか。それを聞かせてほしいんです。
とはいえ、かしこまった相談の場にする気はありません。オンラインでも、オフラインでも。雑談の途中に「実はですね」がぽろっと出てくるくらいが、ちょうどいいんです。一人では言葉にならないことも、隣で聞く人がいれば言葉になります。言葉になれば、次の一歩が見えてきます。
一人の仲間として。「ちょっと話してみたいかも」と思ったら、それだけで十分です。下のフォームから一言、気軽にどうぞ。
楽しんでいきましょう。今日も、宜しくお願いします☺️🔥

愛から起こり、恩で結ぶ。そして安は、また誰かの愛になる。
この円はあなたが加わった瞬間、また『愛』から回り出します。